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現代帝都 カイコヒメ

 毎夜、ぬめるような夜気が充満する八月も半ばのことだった。
 お山の中腹に綺麗なお屋敷があるから見に行こう、と言い出したのは凛理で、何時人と甲斐無は当然ながらあまり乗り気ではなかった。夏休みという膨大な自由時間を持て余し、いつも以上に神山の所有する広大な敷地―そのほとんどを占める山林を飛び回っていた凛理の言うことだ。どうせ打ち捨てられたあばら家のことを大袈裟に語っているのだろう、と最初は取り合わなかったのだ。
 しかし、小学生にとってあまりにも長期に渡る休暇の半分を過ぎ、三人の子供たちは一様に飽いていた。
 神山家は特殊な家柄だ。大人たちは皆忙しく、夏休みの子供に気遣ってなどくれはしない。何時人を含め三人の遊びもあっという間に定番化した。昆虫採集、標本づくり、昆虫図鑑の作成、蔵の探検、見様見真似の蟲術の練習。
 お手伝いさんたちが作ってくれる昼食の献立はほぼ毎日素麺で代わり映えしなかった。精々、添えられた天ぷらの具が微妙に異なっている程度の変化しかなく、その代わりと言ってはなんだが、かぼちゃ、なす、とうもろこし、白身の魚、と旬の味覚は日替わりで、どれも新鮮だった。
 凛理は早々に素麺なんて見たくもないと嘆いていたが、何時人は特段の不満もなかった。普段から食事の内容に頓着しないことと素麺も天ぷらもどちらかといえば好物だというのが主な要因だろう。とはいえ、単調な昼食のメニューが、夏休みを永遠に終わらない好日の連続に見せかける一端を担っていたこともまた確かだ。
 何か刺激が欲しかった。昨日と違う今日、今日と違う明日。ささやかな好奇心が何時人の背を押し切るのに、それほどの時間は必要なかった。そして、当然、何時人と凛理が行くとなれば、甲斐無は黙って二人の後ろをついてくる。
 青々とした木々が茂った森の中は真夏にもかかわらず、時折ひやりとした空気が汗に濡れた背を撫で、嫌な具合に鳥肌が立った。
 幾重にも重なる蝉の合唱。熊笹の茂みを抜け、細い沢を渡り、獣道を慎重に歩く。さすがに山道に慣れた凛理は軽やかな足運びですいすいと進んでいくが、普段は麓の屋敷で生活し、昆虫採集ぐらいでしか山に足を踏み入れない何時人と甲斐無は彼女に遅れないよう、あとをついていくだけで精一杯だった。
 道中、甲斐無が左足を深い水たまりに突っ込んだり、何時人がヤブ蚊の猛襲にあったぐらいで、思ったよりトラブルもなく目的の屋敷には到着した。
 午後二時を回るくらいだっただろうか。重なり合った木々のせいで差し込む光はほとんどなく、辺りは薄暗かったが、それでもその門構えは艶やかな檜の木目を晒し、山並みのように連なった鈍色の瓦屋根は厳かに光り輝いていた。
 正面の大門にはなぜか外側から立派な閂がかかっている。しかし、その脇戸には小さな鍵すらかかってはいなかった。事前に下調べしていたらしい凛理が勝手知ったる様子で戸を開き、何時人と甲斐無を手招く。
 その白い手に導かれるように戸をくぐった二人はまた驚嘆することになった。白い玉砂利が海のように広がり、よく手入れされた松の幹は見事に湾曲している。磨き抜かれた縁側と白い障子戸は見渡す限り横へと広がり、正面玄関と思しき両開きの戸は神山の人間が冠婚葬祭のときに集まる本家の大屋敷に勝るとも劣らない。
 何時人と甲斐無が呆然と屋敷を見つめているのを見て、凛理は実に満足そうだった。しかし、私の言った通りでしょう、と鼻の穴をふくらませるだけではないのが、彼女が真のトラブルメーカーである所以である。彼女は率先して先頭に立つと、臆することなく玄関の戸を叩いた。
「ごめんください!」
 返事はない。三人は顔を見合わせると、一つ二つ頷いた。今度は何時人が代わって戸を叩く。しかし、結果は同じだった。
「どうする?」
「勝手に入る」
「……怒られない?」
「怒られたって殺されるわけじゃないよ」
 こういうとき、三人の中で抑止力が働くことはほぼない。神山という血を引き継ぎ、神山という家の中で育ってきた子供たちは度胸と狡賢さを同時に兼ね備えている。おまけに好奇心は人一倍旺盛で、目的を達するために必要な決断は抜群に早い。いずれも神山の教育の賜物といっていいのか、悪いのか。
「お邪魔しまーす」
 凛理が玄関戸を開くと、そこは長い廊下だった。
 上がり框に続く土間には一足の草履すらない。塵一つない板張りの床に土足は躊躇われ、靴を脱いだ子供たちはそれぞれ履物を抱えると、そろそろと廊下へ足を踏み出した。
 両脇はぴったりと閉ざされた襖が数える気力をなくすほど、ずっと先まで続いている。屋敷の中はしんと静まり返り、三人が床を踏む軽い軋みと息遣いだけがか細い反響を繰り返した。耳の奥が痛くなるような静寂に加え、進めば進むほど暗く、光を失っていく空間にぞわりと背筋が震える。これは、下手に寂れた幽霊屋敷より気味が悪いような気がしなくもない。
「ここ開けていい?」
 しかし、そういった雰囲気に一切頓着しない凛理は実に気軽に提案してくる。それに彼女は疑問符をつけておきながら、決して許可を得ようとしているわけではないのがまた厄介だ。それが証拠に何時人と甲斐無が何事か答える前に彼女はすでに襖を開けていた。廊下の奥まで見通せないので、ここが屋敷のどこら辺に当たるかはわからない。少なくとも、三人が入って来た玄関は遠い向こうに見える小さな光の四角形になっていた。
 襖の向こうは十畳ほどの畳敷きの部屋だった。
 正面は障子戸だから、その向こうは縁側で、更に言えばその先にあの立派な庭が広がっているのだろう。調度品の類は見当たらない。殺風景な室内を三人がきょろきょろと見回していると、甲斐無があっと声をあげた。
 その理由に何時人もすぐに気が付いた。壁の一方に据え置かれた掛け軸も壺もない床の間に、代わりのように一体の人形が佇んでいるのが目に入ったからだ。
 白い着物は所謂白無垢なのだろうか。白い糸で鶴の模様が刺繍された生地はふっくらと艶やかで、何よりそれを着込んだ人形の肌も白ければ、髪もまた白い。黒いまなこを縁取る睫毛まで徹底して白く、それなのに唇だけが真っ赤な紅をさしている。
 細部だけでなく、全体の雰囲気を見ても、その人形が放つ空気は少々異質だった。何より総白髪の花嫁というのが何時人にとっては些か理解しがたい。雛人形然り、普通こういうものは若い娘の姿を模すものではないだろうか。
「綺麗だけどなんか不気味」
 凛理が率直な感想を口にする。それに同調しようとして、何時人は開きかけた口をつぐんだ。
 幼馴染の少女の肩を何かが這っている。
 直感的に払いのけると、それはいとも簡単に畳の上に落下した。凛理は一瞬不可解そうな顔をしたが、何時人の視線の先に納得したかのように、いもむし、と呟くと念のため自身の身体を見回して点検を始めた。
 凛理の言葉通り、それは真っ白な芋虫のようだった。蝶または蛾の類の幼虫だろうか。小さな頭部に捕食者を撹乱するための巨大な眼状紋。等間隔に並んだ気門とそそり立つ尾角。大きさは腹脚が畳の目地をしっかりとつかんでいるのが、ありありとわかるほど。ひょっとしたら、そろそろ蛹になるのかもしれない。
 更に観察しようと身をかがめた何時人の耳に、少女の短い悲鳴が飛び込んできたのはそのときだった。
 なにこれ、という声が震えている。見遣れば凛理が着ていたTシャツの布地に溶けたような穴が開いていた。ほんの小さな穴だが、ほつれた生地がない様子から、どこかに引っ掛けて破けたわけではないとわかる。
 心当たりがないか尋ねようとしたところで、今度は甲斐無が切羽詰まったような声をあげた。その視線の先、天井に向けられた瞳からは恐怖と困惑が読み取れる。何時人は反射的に見たくないと思ったが、そういうわけにもいかない。
 そろそろと視線を上げた先、視界にこれでもかと映ったのは天井を埋め尽くさんばかりの白、白、白、白。それがペンキか何かで塗りつくされた色ではなく、びっしりと張り付いた白い芋虫だと気が付いたとき、思わず口を突いて出そうになった悲鳴をどうにか押し込んだ。
 仮にも神山の名を継ぐ者が蟲の大群で悲鳴をあげるなんて、絶対に許されないと思ったからだ。
「なんの、蟲?これ……わかる?」
 天井の彼らを刺激しないように凛理が声をひそめる。三人は顔を寄せ合い、わずかな状況の変化にもすぐに対応できるよう、全身を緊張させた。
「知らない……」
「蚕じゃないか?図鑑で見たことある」
「蚕?蚕なら普通の蟲じゃない?」
「見た目は普通の蚕でも、中身が神山の蟲なのかも……」
 甲斐無がぼそぼそと紡いだ言葉に何時人は大きく頷いた。何も見目や大きさを変えるだけが神山の蟲術ではない。見た目をそのままに、普通の蚕にはない能力や特性を付与した「神山の蚕」は充分にあり得る話だろう。思えば本来の蚕は完全に家畜化されており、幼虫は箱の中で桑の葉を与え続けられなければ生きられない。脚の力も退化し、今のように天井に張り付くことすらできないはずだ。ということは。
 何時人が即席の持論を展開しようと口を開きかけたとき、視界の隅で何かが動いた。畳の上の違和感。一瞬、凛理の肩から払った蚕が戻って来たのかとも思った。けれど、違う。それは白い髪に、白い着物、白い肌をさらし、そうして決して変化するはずのない、無機質に張り付いた不気味なほど真っ赤な唇を歪ませて。
 笑う。
 悲鳴すら、出なかった。
 何時人と同様に「それ」を見てしまった三人は弾かれたように部屋を飛び出した。出口を目指し、板張りの廊下をひた走る。しかし、何かがおかしい。走ればあっという間に辿り着くほどの距離しかなかったはずだ。仮にも屋敷の中の廊下なのだ。子供の足であっても全力で走って、一向に辿り着かないなんて、そんなことがあるはずもない。
「なんでよ!絶対おかしい!」
 凛理の叫び声が薄闇に響き渡る。子供たちはもうすでに肩で息をしていた。随分走ったような気がするのに、出口はほとんど彼方にある。見えるだけにもどかしい。けれど、走らなければ、「あれ」が追ってくる気がした。どこまでも、薄笑いを浮かべて、まるでなぶるように、楽しむように。
「何時人!」
 その声に勢いよく振り返れば、そこにはやはり人形があった。白い髪も白い着物も今ならわかる。
 これは、蚕蛾だ。
 けれど、この白き蟲は一体何を食べるのだろうか。真っ赤な唇。まるで血に濡れたような。えぐり取られた肉の、その、一片のような。
「こっち!」
 ぼんやりと思考がふらつく何時人の手を力強く、凛理が引いた。彼女の右手は何時人の左手を、左手は甲斐無の右手を掴んでいる。その力は強く、二人は少女に引きずられるように廊下を走る。
 凛理は一向に出口へ辿り着かないと見るや否や、両手がふさがっているからだろう、豪快に襖に体当たりし、部屋の中へと突入する。部屋の天井にはやはり蚕の幼虫がびっしりとひしめいていたが、彼女はお構いなしに部屋を突っ切り、今度は障子戸を引き開ける。その先には入ってくるときに見たのと同様、美しく整えられた庭があった。
「行こう!」
 その声に鼓舞されるように三人は一斉に庭へと飛び降りた。玉砂利を裸足で踏みしめたときに初めて、靴を失くしたことに気付いたが、今更あの屋敷に戻る勇気は誰も持っていなかった。

 結局。

 傷だらけの泥だらけ、おまけに靴までなくしてきた子供たちは三人揃ってがっつり怒られた。
 当然、神山家の所有する施設「蚕屋敷」に入ったことも露呈し、二重に怒られたのも想像に難くない。
 すべてはあとからわかったことであるが、あの屋敷に住まう蚕たちはやはり桑の葉を主食としていなかった。あの屋敷は神山家が処分に困った「死体」を速やかに処理するための施設。桑ではなく、人肉を食らうように改良した蚕を繁殖させ、ついでに絹も生産する。実に合理的な神山らしい考え方だ。実際、人をよく食った蚕の吐き出す糸は丈夫で、痛みにくく、艶があるらしい。
 しかし、解けぬままの謎も一つだけあった。あの蚕を模した人形のことだ。大人たちは口を揃えて、そんな人形など知らないと言った。
 あの施設が蚕に死体を食わせるために誂えられた場所であるならば、確かに餌にも寝床にもならない人形など設置する意味がなかった。供養のために人形を供えるという文化があったとしてもだ。そんな殊勝な心がけがこの一族に一欠けらでもあったとしたら、きっと神山家は現代においてもこのような隆盛を誇ってはいるまい。
 よって、蚕屋敷の姫人形は最終的にパニックに陥った子供たちが見た幻として、特段騒ぎになることもなく片づけられた。
 しかし、何時人は断言する。「彼女」は確かに、かの屋敷に存在するのだと。
 それは何時人が本来の用向きで屋敷を訪れるようになってから今までずっと続いているのだから間違いない。荷車から放り出された死体の影、焦点から外れた視界の端、薄く開いた襖の間、白骨化した遺体の髄液まで啜る白い蟲の群れの中。何時人があっと思った瞬間、そこには必ず、白い衣擦れの名残がある。

2018.09.08

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