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その他 夢見る調達士とティラミス・ケンタウロス

 この世界のすべての生き物はお菓子でできている。
 だから当然お菓子でありながらお菓子の原料になる生き物もいて、それらを捕獲し、製菓職人に引き渡す調達士は公然たる職業として成り立っていた。
 彼らが調達「屋」ではなく、敬意を込めて調達「士」と呼び習わされるのにはわけがある。
 原料にはいずれも最も菓子作りに相応しい旬がある。それを見極め、最も美味なる時期に美味なるままで職人の元にまで届ける。それが調達士の仕事だ。それには技術と経験と、勘のようなものも求められる。原料を探し当て、万全の状態で収穫あるいは捕獲する。それは常に成功が約束されているような易しい仕事ではなかった。けれど、だからこそ見返りとして得ることができる報酬や名声は魅力的だった。
 調達士を目指す若者は後を絶たない。「彼」もそんな一人だった。
 十八でこの世界に足を踏み入れてから早十年。場数を踏んだ顔つきは精悍になり、真っ黒に日焼けした肌は季節を問わない。彼は顧客の要望に応えて調達をするのではなく、品質のいいもの、珍しいものを好んで調達し、職人に売り込むタイプの調達士だった。そのためには危険も問わない。リスクや負担は前者の調達士よりも多いが、それだけに望みの原料を手に入れたときの喜びはひとしおだった。
 楽しかった。やり甲斐も感じていた。それなのにいつからだろう。
 「それ」に固執する自分に気が付いたのは。
 調達にはルールがある。それは人間(ヒューマ)をはじめとした、知恵ある生き物は捕獲の対象にしないということ。
 それは倫理の意味で当然だった。誰しもが深く思索を働かせる前に直感的に理解し、納得できる当たり前の道理。
 しかし、だからこそ禁忌の甘い蜜をはらむ。
 もう何度この草むらに身を潜めただろう。青々と茂ったキャンディグラスと低木がちらほらと生える大草原は白く霞んだ蒼天の下、どこまでも続いているかのように見える。雲が点々と地に影を落とし、ゆっくりと流れてゆく広大な大地には無数の生きものたちが息づいていた。ケンタウロスもそうした草原の生態系の一部に他ならない。
 しかし、ケンタウロスは半人半馬の「隣人」だ。
 言語を解し、道具を作り、群れという小規模の社会でルールに則って暮らしている。毛並みは主にキャラメルブラウン。稀に精製糖の白や斑模様のものもいるが、単色が最も多い。体臭は甘く、時折混じる香ばしい匂いはローストしたナッツに似る。蹄は歯ごたえのあるビスキュイ、身体は馬の部分はキャラメル、人間の部分はチーズクリームのようで、目玉は黒々と濡れたガナッシュチョコレートだという。
 彼らの「味」に関する記述が伝聞なのは致し方ない。ケンタウロスは「禁猟種」だ。人間が捕獲し、殺し、食そうものならありとあらゆる法をもって罰せられる。それは南の大帝国だろうと北の皇国だろうと関係ない。禁を犯した者には罰を。それが世界の秩序を守るための絶対不変のルールだ。
 否。否、だからこそ「犯したい」。
 男は一時間ほど茂みの中で粘り、ようやく目当てのものがやって来たことをレンズ越しに知る。
 その群れは一際巨大だった。牝馬も牡馬も素晴らしい毛並みを持ち、合間には仔馬も見て取れた。ケンタウロスが持つ人間の上半身はどれもが彫刻のように整い、それは顔立ち一つとっても例外ではない。長い睫毛、厚い唇、人間には到底真似できない彫りの深さ、そして慈悲深く知的な表情。それは端的に彼らが狩猟の対象ではないことを示していた。彼らに矢を放ち、縄をかけ、屠殺場に引きずり出すことを誰もが本能的に厭うだろう。それは男にも理解できる。だから、きっとこれは欲だ。
 双眼鏡を握る手に熱がこもる。囁くように揺れる若草の向こうに一際目立つ巨躯が現れた。その毛並みは漆黒。まるでココアをまぶしかけたような身体を持つ牡馬は威風堂々と足を踏み出す。褐色の髪を風になびかせ、びっしりと生えそろった睫毛の奥には誰よりも思慮深い黒いまなこが収まっている。
 その容姿は男を惹き付けてやまない。いや、容姿だけにとどまらない。その所作、群れの長としての態度、直感、判断力、野生の誇りから立ち昇る雰囲気。何もかもが男を魅了した。
 いつからか目を離せなくなって、いつからか手に入れたいと思うようになった。その欲を持て余して、どれぐらい経つだろう。
 いつの間にか背負った弓を引くタイミングだけを伺うようになっていた。風の向き、土の匂い、群れの雰囲気。何もかもを敏感に感じ取り、狩人としての全神経を傾ける。今日ではない。失敗は許されない。一度でも失敗してしまえば、群れは警戒を強め、二度とチャンスは巡ってこないだろう。だから。
「あ?」
 ひゅっという風を切る音は聞き慣れたものだった。男は、何が起こったのか、理解できなかっただろう。痛みは一瞬だったのかもしれない。
 その矢は正確無比に男の首を貫いていた。
 倒れる、視界が傾く、男は考える。あの漆黒の毛並みを持つケンタウロスを仕留められていたのなら。自らの手で職人に引き渡し、彼が材料となっていたのなら。
 ああ、そこからはどんな素晴らしいお菓子が生まれたのだろう。
 想像するだに、それは甘美な夢だった。今息ができないこと、心臓が苦しいこと、自らの肉体から発せられる死の甘い匂いなどまったく些細なことだった。

 不審な人間の男を仕留めたという連絡を群れの若者から受けた黒き長はわざわざその死体を確認しにやってきた。男は目を見開いたまま死んでいた。その安寧には程遠い死に顔をしばらく眺めると、草原の賢人は踵を返し、群れへと戻った。
 たとえ同じ言語を有していようと、恥知らずなハンターへの手向けの言葉など何一つあるわけがなかった。


2018.04.10

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