ibaraboshi***

home > 小説 > , , , > その他 チョコレートドラゴンと砂糖菓子の妖精

その他 チョコレートドラゴンと砂糖菓子の妖精

 とある世界、とある時。砂糖菓子の妖精たちの間でまことしやかに囁かれるおとぎ話がございました。曰く、ガナシュの森に住むというとびっきりのチョコレートドラゴンと「つがい」になることが出来たなら。その幸運な妖精はそれはそれは甘い夢を一生見続けることができるというのです-。


 蜂蜜色の髪に上等な菫の砂糖漬けみたいなヴィオレットの瞳、飴細工の翅を持つ僕は自分で言うのもなんではあるが、美しい容姿をしている。
 砂糖菓子の妖精が推し並べてそうであるように僕も甘いミルクの泉から生まれた。生まれたときのことはよくおぼえている。鼻腔の奥深くまで支配する甘ったるい匂い。泉の周りに集まった妖精たちがあげる感嘆の声。こんなに美味しそうな仔は初めて見た、と誰かが言った。決して悪い気はしなかった。
 類い希なる美味な妖精として生まれた僕は、それから文字通りいろんなお茶会へと招かれた。月夜の下で催されるミッドナイト・ティーパーティから格式高いサンドイッチ王のお茶会、歯に付くヌガーはいいヌガーの会やクリームをこよなく愛する者たちによるホイップ同盟、クッキーだけをとにかく味わうオールド・ベイクド。しかし、なんといっても僕が足繁く通ったのはチョコレートドゥ愛好会だった。
 チョコレート。ああ、なんて魅惑の響きだろう!
 なんといっても褐色の地味な外見に似合わぬその芳醇な香り、口に含めば頭の中心まで痺れさせるよう。そして、舌の上に広がるチョコレートであり、チョコレート以外ではない、と断言できるあの甘さ、苦み、奥深さ。固形物だったものが口内の熱であっという間にとろけていく過程はどんな甘美な快楽にも勝る。
 要するに僕はチョコレートに恋をしていたのだ。この完璧な菓子を延々と食べ続けられる体質、砂糖菓子の妖精という種族として生まれたことに心から感謝した。そして、同時に失望もした。なぜなら、この世界には「チョコレートドラゴン」なる正に究極のチョコレートとも言うべき種族が存在していることを知ってしまったからだ。
 チョコレートドラゴンのことを初めて聞いたのはチョコレートドゥ愛好会の会合に三度目に参加したときだったと思う。チョコレートが山ほど並んだテーブルを前に興奮を隠しきれない僕の隣に密やかに立った同胞が耳打ちするように教えてくれたのだ。
「知ってる?とびっきりのチョコレートドラゴンのこと」
 それ以来、僕はその幻の存在に憑りつかれた。恋をしてしまったと言ってもいいし、病を患ったと言ってもいいだろう。それらはすべて同意義だ。
 来る日も来る日もかのドラゴンが棲むというガナシュの森をさまよい歩いた。数々のカカオマスと成熟したチョコレートが実るガナシュの森は毎日毎日胸焼けするほどの甘い匂いに満たされていた。しかし、ココア・ロビンやセミスイートラビットなどの小動物は見かけても、肝心のチョコレートドラゴンは見る影もない。ただチョコレートの匂いに肺まで満たされるだけの日が何日も続いた。
 それでも僕は決してあきらめなかった。たとえ、仲間に笑われようと、心配されようと、チョコレートドラゴンに絶対出会うのだともう心に決めていた。心に決めたのならあとは行動するだけだ。妖精は難しいことや複雑なことは考えることができない。ただ、好きか嫌いか、やるのかやらないのか、それだけだ。
 だからこそ、僕はその日を生涯忘れないだろう。
 ある日、歩くのにも飛ぶのにも疲れた僕は翅を休めようと若草が生え揃った広場の真ん中で腰を下ろしていた。椅子代わりにしたチョコレート色の茸からもチョコレートの香りがする。端っこをむしってみると中からはプラリネクリームがとろりとこぼれだした。美味しそうだ。
 それを口に運ぼうとした瞬間、頭上に影が差した。ぐっと強くなるチョコレートの香り。力強い羽音。口をあんぐりと開けて見上げた僕の目に飛び込んできたのは雄々しくも美しいその姿。クーベルチュールの鱗、銀のアラザンの角、ドレンチェリーの瞳。濡れた真紅が一つ分厚い皮膜の向こうで瞬いて、ゆっくりと僕に焦点を合わせる。
 そのときの僕の感情をどう表現したらいいのだろう。
 衝撃、感動、達成、歓喜、切望、欲望、哀願。
 ああ、やはりこれ以外に正解はないに違いない。
 僕は、「彼」に恋をした。
「ねえ、僕は幸せだよ」
 甘い、甘い、僕の声が月夜の森に優しくこだまする。真っ赤な瞳はじっと僕を見下ろしていた。疑いようのない慈愛を含んで僕を見ていた。それだけで僕はもう充分に満足だった。後悔など何もなかった。未練など何もなかった。僕の翅はばらばらに砕けて、辺り一面に広がったチョコレートの中に半ば沈みかけていた。僕の腕は途中からぽきりと折れて、アーモンドの爪が付いた指は彼がぱくりと一飲みにしてくれた。愛しきドラゴンも最早半分以上、元の形を保ってはいなかった。力強く大地を踏みしめた後ろ脚はどろどろに溶けて、溶岩のようにじわじわと辺りに広がっていく。翼の先に付いた突起のような爪がぼとりと落ち、美しい銀のアラザンでコーティングされた角は褐色の中心部がほとんど剥き出しになっていた。
 僕は彼を呼ぶ。彼は愛しそうに、僕の髪に、頬に、唇にキスをする。僕が教えた親愛の表現。そう、僕らは今日、一つになる。
「ほんとうに、うれしい。君と、」
 つがいになった僕は世界一幸福な砂糖菓子の妖精だ。
 僕の言わんとすることがわかったのだろう。溶けた眼窩の奥の瞳が輝いて、心震えるような親愛を伝えてくれた。
 チョコレートドラゴン、彼とつがいになった砂糖菓子の妖精はそれはそれは甘い夢を見る。ただのチョコレートになってしまったドラゴンの中に自らも溶け切って混ざり合うことによって、決して離れることなく、ずっと、ずっと。


 やがてガナシュの森に驚くほど甘く、それなのに苦くてなぜか切ない気持ちになるチョコレートの泉があると評判になりました。みなは喜んで来る日も来る日もチョコレートを汲み上げにやって来ましたが、決してその泉が枯れることはありませんでした。泉は今日も甘いチョコレートを湛えています。明日も明後日も、ずっと、ずっと。


2018.03.04

新しい記事
古い記事

return to page top