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FGO とある処刑人の再誕

「#サンソン版創作60分一本勝負」参加作品
お題「シャルル=アンリ・サンソン」
瓜野(@baraniku_i)



 英霊として再び生まれる、というのは何やら妙な感覚だと思う。
 記憶については物心ついてから死ぬその瞬間までのすべて。肉体は全盛期と判断された時期のそれ。漆黒のコートは処刑人がまとうべき衣装で、「正義」と刻まれた剣はサンソン家に代々伝わっていたものだ。そのすべてを他ならぬシャルル=アンリ・サンソンは自認している。人格とは記憶の積み重ねに過ぎないのであれば、正しくこの場にいるのはムッシュ・ド・パリと呼ばれた処刑人に他ならない。サンソン家に生まれ、四代目を受け継ぎ、フランス革命という激動の時代に立ち会い、そしてギロチンの誕生に伴い、最もギロチンとともにあった処刑人として位置づけられた。
 生前の処刑者数、実に二七〇〇。
 英霊としてなったあとに得た知識によると歴史上二番目の数らしい。けれど、それがただの数に他ならないことを、サンソンは深く理解していた。その死の数だけ、人間がいた。当たり前のように当たり前だが、歴史はその重みを大いに無視する。だからといって、その無情に憤っているわけではない。歴史とは得てしてそういうものだ。数々の無名の人々の生活を、思いを、生と死を、積み重ねて作られるものだ。
 そうして、そこから弾かれた、ごく一部の人間が、英霊として歴史に刻まれる。サンソンはそう、認識している。
 たとえば自国でいうのなら救国の聖女ジャンヌ・ダルク、そして貴族社会最後の象徴マリー・アントワネット。彼女らは実に英霊の座に相応しいと言えるだろう。誰もがその名を知り、誰もがその生きざまに共感や反発をおぼえ、その心に深く名を残している。
 けれど、サンソンはあくまで法の執行者に過ぎなかった。死刑の執行はあくまで法に則った行いであって、シャルル=アンリ・サンソンという一個人の意志ではなかった。だからこそ、サンソンはおそらく「このような事態」でなければ、自身が英霊として成ることはなかっただろう、と分析する。人類史の消滅。世界の未曽有の危機において、ようやくシャルル=アンリ・サンソンはその刃を振るう機会を得た。否、振るってもいいのかもしれない、というわずかな許しを得た。
「サーヴァント、アサシン。シャルル=アンリ・サンソン。召喚に応じ、参上しました」
 だから、きっと、今ここにいるサンソンはあの日の光を生涯忘れないだろう。
 まぶしそうにこちらを見た、大きな瞳を。その細い肩で、華奢な体で、人類を、世界を、救わなくてはならないと悲壮な決意を固めたその曇りなき心を。サンソンが自身を預けるに値すると信じたその存在を。人はきっと、英雄と呼ぶのではないか。
 ゆえに、その行為が正しくなされたとき初めて、シャルル=アンリ・サンソンは英霊として成る。処刑人として、時代の激動を生きた者として、矛盾した存在として、人間を愛する者として、ただ、剣を携えて、ここにある「人間」として。


2018/07/07

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