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カリギュラ二次創作 「花よ嵐の前触れと」

カリギュラ二次創作/約2600字/主人公(女)の生い立ち
男女主人公は軽率に姉弟にしたい。

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 嵐の余韻を残した風が雨の匂いを含んで気持ちよく吹きおろす午後だった。
 汗ばむ掌が掴んだ鞄を持ち直す。水たまりを避け、歩行者用信号を赤にするボタンを押した。間断なく現れる乗用車の群れは黄色から赤に変わった電光に従順に従う。
 念のため、左右を確認してから横断歩道を渡るのは、先日信号無視の車が鼻先をかすめて走り去って行ったからだ。幸い接触には至らなかったが、生々しい死の恐怖とはああいう体験を言うのだろう。全力疾走した直後のような鼓動の速さと、我関せずと言わんばかりに消えていった赤いテールランプの残像はしばらく忘れようとしたって忘れられそうもなかった。
 片側二車線の道路を渡って、住宅街へと入る細い路地に足を向ける。平凡な面積の民家が同じ間隔で同じように並ぶその列に花巻零理(はなまき れいり)の自宅もまたあった。
 とはいえ、その凡庸な家屋に零理と直接血の繋がった人間は一人もいない。
 零理は養子だった。
 かと言って両親と死別したわけでも、天涯孤独の身の上でもない。
 零理が実の家族から「手放された」理由はただ一つ。零理が彼らの期待に応えられない役立たずだったから。それだけだ。
「ただいま」
 手入れが行き届いた植え込みの脇をすり抜け、スチール製のドアを開くと薄暗い玄関が零理を出迎えた。
 一瞬、家人は誰もいないと思ったがそういうわけでもなさそうだ。三和土には養父と養母の靴が揃い、居間へと続く扉の磨りガラスからは灯りがこぼれている。
 顔を出そうかどうか迷って、結局やめた。ぼそぼそと漏れ聞こえてきた会話が概ね零理にとって気が滅入る内容だったからだ。
「だから、今更どうしようもないだろ」
「でも、優は来年中学生になるし、凛だってよくない影響を受けたら……」
「だからって今更家に帰すなんて話、叔父さんにできるわけないだろう」
「何よ。叔父さん叔父さんて。そんなに子供たちより実家の方が大事なわけ?」
「そういうことを言ってるんじゃないだろう……花巻の本家は特殊なんだ。お前だってわかってるだろう?」
「それは、そうだけど」
 よく飽きもせず何度も何度も同じ話ができるものだと、零理は他人事のように思う。そう考えること自体、自身が捻くれているからなのか、それとも子供じみているからなのか、零理にはいまいち自覚がない。
 けれど、自覚がないのと、苦痛がないのとはまったく別の話だ。
 洗面所で手を洗い、階段を昇る。
 零理に与えられたのは二階の最も北側に位置する六畳間で、それ自体を不満に思う気持ちはたぶん、ない。一度は実子を授かることを諦めた養父母にとって、零理を養子として引き取った直後に生まれた本当の子供の方がより愛おしい、というのは極めて一般的な心情だろう。それぐらい、零理は理解している。理解する、ふりをしている。
 カーテンを引きっぱなしの薄暗い部屋に鞄を放り投げ、ベッドに倒れ込む。
 制服が皺になるなあと頭の片隅で思ったが、思っただけだった。指先一つ動かす気力はない。もう夕飯に呼ばれるまで寝てしまおうか、と考えたところで鞄に入れっぱなしの携帯が咎めるようにむーっと唸る。
 怠惰な身体を叱責して鞄の底から振動する機械を引っ張り出す。「1」の通知が示すアイコンはメッセージアプリのものだ。タップ一つで起動するとロゴが浮かびあがるのと同時に画面が切り替わった。
 てっきりクラスメイトからの他愛ない話題の発信かと思ったのだが、表示された名前につい口元が緩む。
 花巻零理のルーツを示す、わずかな証拠。細い糸で奇跡的に繋がっていた、繋ぎ直された縁。今となっては思春期を迎えた零理の唯一の拠り所と言ってもいい。
 そこには簡潔なフルネームが表示されていた。
 それは零理の「本当」の弟の名前。捨てられた零理に代わり、花巻家の長子として育てられた彼を恨む気持ちはこれっぽっちもない。それはただの八つ当たりだと零理は正しく信じていたし、それよりも、そんなことよりも。
『元気?』
『ぜんぜん』
『俺も』
 今はその距離感がただ愛しい。
 直接会ったことはない。今後も恐らく会うことはないだろう。花巻家の正式な跡取りである彼と親族ながら一般の家庭に養子に出された自分とでは住む世界が違う。それでも、この些細な関係が途切れることを零理は望まない。それはきっと彼も同じだろう。そうでなくてはすぐに切れてしまうほどに、繊細な関係だった。まるで、ただの他人みたいに。
『学校であったこと、話していい?』
『うん。零理の話、聴きたい』
 電波を通じた二人だけの内緒話。
 内容はまったくもって特別でもなければ、物珍しくもなかった。退屈な授業、友人との会話、校内に漂う噂話の真相、学食の人気メニュー、購買の文房具ブーム、差し迫った文化祭の計画、修学旅行の行き先の行方。零理が体験したありきたりの、ごく普通の学生としての日常を弟は殊更聞きたがった。
『そうだ』
『なに?』
『誕生日、おめでと』
 そんな、穏やかで優しい言葉がただ降り積もるだけの関係は零理にとって真実、心の拠り所だった。永遠とは言わないが、ささやかでもいい、末長くこの関係が続いてくれれば、という願いは、けれども当人の意志に反して呆気なく壊れることになる。

 少なくない頻度で交わしていた言葉が事切れてから幾日が経っただろうか。沈黙を続ける携帯を握りしめる零理はとっくに制服よりもスーツが板に付くようになっていた。

 何度メッセージを送ってもそこに既読の文字が表示されることはなく、当然返信があることもなかった。一体何があったのか。否、そもそも何かあったのか?
 何日も自分が送ったメッセージが羅列された画面を眺めるだけの日々が続いた。
 弟の身に何かあったのなら助けたい。
 想いは募りこそすれ、一つも具体的な手段を思い付かぬまま、行動に移せぬまま、ただ時だけが流れていった。
 おそらく零理は疲弊していたのだろう。突如、途切れた糸に困惑し、砂の粒が指の間からこぼれていくのをただ見つめることしかできない無力感に神経をすり減らし、苛まれていた。
 だから、きっと「彼女に招かれた」。
 ノートパソコンから流れ出す電子音、ポップカルチャーとして最近流行のバーチャドールの歌声。甘く、切ないその声色を聞いた瞬間、零理の意識は吹っ飛んだ。
 あの、五月晴れの日からすでに五年が経過していた。
 花巻零理、二十三才。
 弟、花巻壱一(はなまき いつひと)は十九になっているはずの、ある湿った春の夜のことだった。

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