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現代帝都 「八つ足少女同盟」

現代帝都/約1400字/女郎蜘蛛「八蘇」と神山火焔
「麦食みのルサンチマン」を書いたら、なんか辛くなって補完しました。辛いこともあったけど、私は元気です。





 雨が降ると思い出す。遠くに霞む赤いテールランプ、嗅ぎ慣れた腐敗臭、血の匂い、明滅する街灯、電信柱の根本に蹲った塊。不思議と恐ろしいとは思わなかった。ただ傘などすでに何の意味もなしていないほどの雨に打たれ、濡れたローファーの不快感だけがあった。
 彼女は泣いていた。
 否、鳴いていたのかもしれない。
 ぺしゃんこの腹を抱えて嗚咽を漏らしていた。黒い髪は額にも頬にも張り付き、その隙間から濡れたような赤い瞳がちらちらと覗いている。泣き腫らしたせいで瞼が重たいのだろう。妖怪らしからぬ酷い相貌にやはり恐怖よりも憐憫のようなものが勝った。
 水たまりを跳ね上げる音に気が付いたのだろうか。女は緩慢な動きでこちらに顔を向けた。人間の身体なのは腰までで、そこから下は立派な女郎蜘蛛のそれが備わっている。雨を弾く微細な毛の一本一本が安っぽい灯りに照らされて、まるで作り物のようだった。
「どうした、こんなところで何をしてる」
「………」
「行くところがないのか?」
「……うん」
 想像以上にあえかな声だった。何も知らない、無垢な少女じみた弱々しい声だった。
「うちに来るか?」
「…いいの?私、人間を食べるの」
「そんなことは気にしない。私は人間を殺すよ」
「…ほんと」
「私は火焔。神山火焔。お前は?」
 女郎蜘蛛は不意を突かれたように押し黙った。視線は火焔をふわりと撫で、やがて悲しそうに伏せられた。わからないの、と震えた声が雨音にかき消える。
「何もおぼえてないの」
「何も?」
「うん、『八蘇』って言葉以外」
 自覚しているかどうかは別にして、彼女の言葉はどんどん明瞭になっていった。特に唯一おぼえていると言ったその言葉を発したとき、それは決定的になった。物の怪はその音の漢字さえ、明確に火焔に説明してみせたのだ。
「なら、お前は今日から八蘇だ」
「…私が、八蘇?」
「ああ、嫌か?」
「……ううん、ちっとも」
 そう言ってふわりと笑ったような妖怪に手を伸ばす。彼女はまだ躊躇いの残る動きでその手を取る。触れ合った二つの手はまるでただの少女で、それでいて驚くほど血と汚泥に汚れていた。その事実を、他ならぬ「二人」だけが知っていた。

「火焔ちゃーん。お腹出して寝てると風邪ひくよー」

 目を開くと目の前に整った少女の顔があった。ずるりと視線を移動させれば、セーラー服、白いリボン、その下に覗く臍、そして女郎蜘蛛の身体へとなめらかに繋がっている。
 縁側に寝転がった火焔は一度開いた目を再び閉じる。途端に甲高い抗議が真上から降り注いだ。
「火焔ちゃんてば!」
「八蘇、」
「何!」
「起こして」
 もう!と言いながらも付き合いの長い物の怪は火焔の要望通り手を伸ばしてくれる。白く、一見頼りなさげな少女の腕に掴まれば、予想以上の力で引き上げられた。大蜘蛛の下半身を持つ八蘇は当然、火焔の身長よりも随分体高が高い。よって火焔のつま先は簡単に床から離れてしまう。
「つーかまえた」
「捕まったか」
「うふふ、食べちゃうぞ!」
「美味しくないぞ」
「嘘!火焔ちゃんは美味しいよ」
 知ってるんだから、と妖しく微笑む様はまさしく女郎蜘蛛。その様を間近で眺めた火焔は負けず劣らず蠱惑的な笑みを浮かべると口元を歪める。
「そのときは美味しく食べてくれ」
「…うん」
「雷電丸と仲良く、半分こにな」
「うぇーそれだけが嫌ー」
 なんであんな奴と契約したの火焔ちゃん。
 その言葉を聞き流し、火焔は床へと危なげなく着地した。季節は晩春。散った桜から芽吹いた新芽の色さえ眩しい時間にゆるゆると背伸びをすると、自然と欠伸がこぼれ落ちた。

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