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現代帝都 黒鎧の騎兵

 それは警告音だった。硬い殻に包まれた細い脚がお互いに小さく振動しながら触れ合い、擦れ合い、微細な擦過音を作り出す。生まれ出でた音は空気を伝わり、彼らの「共存者」である蠱毒師へと届く。
 彼らと蠱毒師の間には特別な友情があるわけではない。特段の友愛があるわけでもない。
 ただ彼らは共生の相手として蠱毒師を認め、蠱毒師は自らの優秀な道具として彼らの繁栄の手助けをする。
 だからこそ、神山の名を持ち、神山の蠱毒師として生きる何時人は彼らに敬意を表する。彼らの警告音を無視することなく足を止め、後ろに続いていた同胞たちに静止の合図を出す。
 丑三つ時を迎えた鎮守の杜はじっとりとした闇を抱え、滞った静寂には波紋一つなかった。それは明らかに不自然な無音だった。梅雨明けを迎えたばかりの時候である。本来であればむせ返るほどの生き物の気配に満ち満ちていて然るべきである。しかし、ここにあるのはいっそ冷え切ったとも言うべき無機質な夜だった。どこまでいっても切れ目なく、入り込んだ侵入者を逃がさんと、果てなく無限に広がっていく暗い影の世界。
 何時人様、と背後にいた同胞がどこか不安を隠しきれない声を出した、その瞬間だった。
 ゴボッと嫌な音がする。溢れ返る血臭、こぼれ落ちる拍動、今このときに停止する命の無念を知る。
 だが、何時人が動揺したのは正に刹那だった。すぐさま回避行動を開始する。散開した仲間の息遣いを背後に感じつつ目を凝らす。闇夜に浮かび上がる無数の目、唸り声、気が狂わんばかりの飢餓。囲まれている。舌打ちしたいのを堪えて息を殺す。思考が高速で回転していた。理屈ではなく、本能のままに自らが生き残るための手段を探す。一挙手一投足が一秒後の生存の因果となる場所に何時人はいた。
 冷たい脂汗がこめかみを伝う。
 ギリギリの生死の境界線上で一体どれほどの時間が経過したのだろうか。それはわずか数秒にも、数十分もの長い間のようにも感じられた。緊張は限界を迎え、やがては破綻する。その涯の時間、到達した突端の先の先。「それ」はやって来た。
「兵蟻(ひょうぎ)隊、全速前進!四つ脚の獣どもを蹴散らしてやれ!」
 戦場には似つかわしくない甲高い少女の声とささやかに、けれど圧倒的な重量感を持って土を踏む六脚。大樹に身を潜めていた何時人の脇をその背に人を乗せた大蟻が素晴らしい速度で駆け抜けていく。人間の鬨の声と比べ明らかに控えめな行進は、それでも敵の前線と衝突した途端に大きなうねりとなった。この好機を勿論何時人は見逃さない。先遣隊として共に進軍して来た同胞に出撃の合図を送る。相手は狗神、荒ぶる山の神の成れの果て。油断は禁物であるが、どうやら逆転の不意打ちに成功したのはこちらであるようだった。
「何時人様、兵蟻隊到着いたしました」
 何時人の真横にそれこそ馬ほどの大きさがある蟻が並ぶ。黒光りする装甲のような外殻に覆われた巨躯は闇に馴染み、無数の棘のある脚はか細いながらもしっかりと地を掴む。骨すら砕く強靭な顎、自分の何倍もの相手にも向かっていく勇猛さ、手綱を受け入れる従順さ、命令通りの仕事をこなす勤勉さ。そのすべてが好まれ、神山家の蠱毒の中でも随一の数を誇り、大事にされて来た蟻の蠱毒こそ、この兵蟻。そして、その背に跨る少女が、彼らの「人間」の女王にして部隊の長。幼い頃から蟻と共に育ち、蟻と共に死ぬと公言して憚らない神山の蠱毒師、神山凛理(かみやま りんり)。
「何騎率いて来た?」
「三十八騎です。先日の戦闘で七騎討たれましたゆえ」
「いや、充分だろう。こちらは風上、月も現れた。あとは的確に処理しろ」
「はい。仰せのままに」
 蟻上の少女が不敵に笑う。本家の生まれである何時人とは遠縁とはいえ、彼女は神山家の人間の特徴をよくその身に残していた。一つ、人より蟲が優れていると思っている。一つ、人間らしい審美眼が狂っている。一つ、人より蟲を優先する。一つ、蟲とともに戦場に赴くとき、彼女は死を恐れない。
「恐れるな、人の子よ!我ら兵蟻は血肉の赤い連中に敗れたりなどせぬ!」
 少女の声にそこかしこで雄叫びがあがる。決して絢爛でも優雅でもない、泥のついた決戦の火蓋が切って落とされる。ただ生き抜くために、明日へと繋がる一族の未来のために。何時人もゆらりと影に似た己の蟲を現すと、「彼ら」とともに闇夜の戦場へと身を投じる。



兵蟻(ひょうぎ)
大蜘蛛や大百足に匹敵する巨大な蟻の姿をした蟲。軍蜂と同じく群れをなし、女王蟻を筆頭とした社会性のある営みをする。フェロモンを利用した情報伝達機能を使い、主に巣を守るために協力して外敵を打ち倒すが、神山家では彼らの勇猛果敢な性質を利用して戦場の騎蟲としている。スピード、パワーともに申し分なく、勤勉で、蠱毒師にも非常に忠実。


2017.07.17

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