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刀剣乱舞 春の厨の芥虫(燭台切光忠、男審神者)

※ゴキブリ注意※



 立春を過ぎ、吹く風にもどこか緩みのようなものが感じられるようになった如月の初旬のこと。
 燭台切光忠は厨にて未だかつてないほど全神経を集中させていた。視界の片隅を横切った黒い影は決して見間違いではない。冬の間は出ないはずではと一瞬思考が現実逃避しそうになるのを理性が宥める。いやいやほとんど一日中、かまどに火が入っている厨は温かい。奴等はどこにでも現れるのだ。それこそ思いがけない場所から。
「燭台切様?」
 背後から突然かかった声に肩を跳ね上げれば、予想以上の反応に驚いたのか目をまん丸に見開いた少年がこちらを見つめているところだった。艶のある黒髪に優しげな表情。花浅葱色の袴姿の彼の職務は審神者。他ならぬ燭台切光忠の主だ。
「あ、主!来ちゃだめだ!」
「は、い?」
 もっと近付いてから会話をしようと思ったのか、足を踏み出そうとした主を片手で押しとどめる。ここには奴がいるんだ、と小声にすることになんの意味があるのか。自分でもよくわからないが、とにかく首を捻った彼を厨から一刻も早く遠ざけようとしたそのときだ。
「ああ…芥虫ですか」
 目の前を横切った黒光りする物体に声にならない悲鳴をあげた燭台切とは対照的にのんびりと主は呟く。その上、驚いたことに彼はあまりにも普通に厨の中へと足を踏み入れたのだ。例のあれがどこにひそんでいるのかもしれぬ屋内に入るなど果たして正気の沙汰ではない。少なくとも燭台切は死んでも御免だと思う。敵陣に一人斬り込んでくれと言われた方がまだマシだ。それなのに未だ厨に留まるのは偏に料理好きの責任感としてこの神聖なる炊事場をきゃつらの好き勝手にさせるわけにはいかないからなのであって、決して鳥肌が止まらないからでも、膝が笑って動けないわけでもないのだ、決して。
「随分早いお出ましですね」
 まだ雪の降る日もあるでしょうに、と反して平坦な主の口調には微塵の恐怖をも読み取ることはできなかった。常に穏やかな様子の少年は全人類の敵を前にしてもまったく揺らぐことはない。ただ、黒いまなこがゆらりと厨の中を見渡す。ぱちりと燃えさしの小枝が弾ける音。崩れる薪、こぼれ出る火の粉。湯気を吐く鍋の蓋がかたりと鳴る。
「そこか」
 主の声が凛と響いた瞬間、燭台切の足元を黒い閃光がカサカサカサっと走り抜ける。それは真っ直ぐに目の前に立っていた少年へと向かい、そして。
 ぐしゃっ。
 思っていた以上に湿った音が主の草履の裏から聞こえたのは気のせいじゃない。ご丁寧に左足がぐりぐりと土間に擦りつけられる度にぐしゃ、ぱり、ぶちっと何かが壊れる音がする。やはり相手が相手のためか、念入りに力を込めたあと、少年はぱっと足をあげた。燭台切がその地点を直視できないのを余所に彼は芥虫の絶命を丹念に確認すると朗らかに笑ったようだった。
「片付けるもの、持って参りますね」
 そう言って颯爽と出て行く主の背中を燭台切光忠は呆然と見送った。そのあまりにもスマートかつ雄々しい立ち居振る舞い。例のアレに対して一歩も引かず立ち向かうその姿勢。そして、鮮やかな一騎打ち、一撃必殺、アフターケア。
「僕の主、かっこいい…」
 今この瞬間に、とある刀剣の好感度が急上昇したことを当然、当の主は知る由もなかった。


2017.02.06

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